萌豚日記

映画/小説/漫画/アニメ/ゲームの感想と忘備録

【君の名は。】いつまでも眺めていたくなる青春の夢

先月26日から公開の始まった新海誠監督作品の最新作、「君の名は。」の感想です。

感涙というよりは「良いものを見た……」の感情が強く、涙が出てこないほど爽やかな映画でした。眩しい、という言葉が最もよくこの感情を表しているような気がします。

氏の監督作品の中で「星を追う子ども」だけは未だ見ていなかったのですが、劇場で本作がこれまでの作品の延長線上にあると感じたためにダッシュでツタヤに向かいました。皆さんも過去作をご覧になり、再び劇場に足を運べば新たな発見があるかもです。

 

ネタバレを多分に含みますので、興味があるけど未見という方はブラウザの戻るボタンをクリックしてT○H○シネマズとかM○VIXとか1○9シネマズとかのHPでチケット買って見に行かれることを強くお勧めします。というか絶対後悔します。

ということで以下感想(ブログに不慣れなもので、「シン・ゴジラ」の感想を書いた際に敬体が使いづらかったため今回から常体で書かせていただきます、文体のせいでめちゃくちゃ偉そうになってますがごめんなさい)。

 

 

 

本当に爽やかな余韻が残る作品だ。

アニメ映画で例えるなら10年前、細田守監督の「時をかける少女」を見た時に抱いた感覚に近い。鑑賞後、いつまでもこの世界に留まっていたいという欲望に支配される。

 

神木くんもインタビューで言及していた通り、空や光をはじめとする背景美術の美しさは本作においても健在。アニメーターでは作画監督の安藤さん、キャラデザの田中さんの他には作画監督に黄瀬さん、原画に沖浦さん松本さん橋本さん。OP担当に錦織さんなどビックネームをちらほら見かけた。作画面から見てもこれまでの新海監督の作品の中で図抜けてキレイに動いていたと思う。何しろ人物の動きが恐ろしいほど生々しい。クライマックスでコケて転がって立ち上がって走り出すとことかね。

劇中曲もボーカル曲がOP,EDあわせて4曲という変則的な構成だが、どれも詩、曲調が場面場面にぴったり。RADWINPSというグループを見る目が正直変わった。

 

さて、物語の話である。

主人公は二人とも非常に魅力的で非現実的なまでに美しいけれど、どこか等身大の感情移入ができる。美しい背景描写と相まって、活き活きと登場人物が銀幕で踊る。

それでいて記号的にならない程度の、ほどよいキャラクター性がある。前作は大人びたキャラデザと色彩だったが、本作は田中さんのポップなキャラデザのおかげもあってか、丁度良いくらいにコミカルなのだ。瀧くんはとりあえずおっぱい触るし。「言の葉の庭」の孝雄くんとか15歳であの凛とした立ち居振る舞いだったのに。しっかりしろ17歳男子。でもそのストレートな表現が全然いやらしくなくて、爽やかに入れ替わりの現実を観客に受け入れさせる。口噛み酒とか間接キスを想起させてまた甘酸っぱい。気にしちゃうよね、17歳なら。

新海監督と言えば背景や光の表現が取り上げられがちだが、個人的には、冒頭から丁寧にじっくりと登場人物たちの心情を映像やセリフで観客に実感させていくスタイルこそが代名詞だと思っていた(実際アバンはゆったりと主人公二人が詩的に語るというものだったので、本作も段々とテンポを上げていくのかと思っていた)。それ故にこのコミカルさ、テンポの良さには舌を巻いた。加速度的に物語が展開していく。性差の意識、人格の豹変という男女入れ替わりモノお決まりの展開を消化しつつ、お互いのバックグラウンドを通して惹かれあう二人。その二人の美しさ、純粋さに惹かれる観客。

 

そして、あの時間の断絶に直面する。

 

今にして思えば「曜日の違いとか当時のニュースで入れ替わり先が過去(未来)だと気づくのでは?」と思ってしまう。これは現代での3年の速度を考えれば当然の疑問であって、SF的考察をするなら目を瞑るしかない。一応ご神体に向かうとき(おそらく休日だろう)に学校へ行こうとする瀧くんの演出で、曜日のズレについてはカバーしていたりするけれど。

しかしながら断言できるのは、劇場ではそんなことを考える暇なんて皆無だったということ。既に頭も心も二人に奪われていたからだ。三葉とのほほえましい逢瀬を期待して瀧くんの旅を追う我々は、しかし絶望に直面する。あの時瀧くんと一緒に味わった喪失感が、どうでもいいSF的考察を頭から蹴りだしていく。世界観に絶対的なリアリティが欲しければ現実という映画を見れば良いのだ。観客はここから「なんとかして二人の邂逅を」と願いながら食い入るようにスクリーンを見つめることになるだろうし、事実ぼくはそうなった。

 

その後訪れた一時の逢瀬が三葉に勇気を与え、無事災厄の手から逃れることに成功する……のだが、誤解を恐れず言ってしまえばここの描写は適当である。適当とはまさに、必要にして十分、その意の如くである。ボーイミーツガールには直接関係のない部分なのでドラマチックな説得や避難誘導は描かず、必要最低限、何があったか分かるようにだけ描写したのだろう(町長の前に立つ三葉、当時を推察する週刊誌記事など)。

偶然本作を見る直前に庵野秀明監督作「シン・ゴジラ」を見る機会があった。どちらも印象に残る素晴らしい映画だったが、震災をモチーフにした映画として見ると陰陽のように好対照なのが興味深かった。

庵野監督は震災に対面した人々がどう行動するか、というハード面を描いた。対して、新海監督は震災に対面した人々が何を想うか、というソフト面を描いた。本作で描かれるのは、崩れる日常を突きつけられた人間が抱く「大切な人と、まだ一緒にいたい」という一途な願望である。

糸守でのクライマックスは隕石からの避難ではない。誰からの言葉なのかも分からない、けれど大切な人からの大切な言葉。これを受けた三葉の希望、執念こそがクライマックスである。

立ち上がって走り出す三葉のシーンは勝ち確定演出みたいなもので、その後にこまごまとした避難描写などを入れても蛇足にしかならなかったろう。まだ会えぬ大切な人を想い走り出す彼女の姿はあまりにも、ただひたすらに美しかったから。

 

そして震災から8年が経つ。思わず秒速のラストが思い出される。不安が鎌首をもたげてコブラツイストである。歩道橋ですれ違うシーンなんて、いつボーカルが入ってくるかヒヤヒヤしながら眺めていた。センチメンタルな結末が新海監督の常だったので、これまでの作品に触れてきたファンは不安も一際だったと思う。

それだけに二人が振りむきあった時には思わず外人4コマのようにガッツポーズしてしまった。隣に座っていたお姉さんは不信に思わなかっただろうか。いや、お姉さんもそんなことは気にならないであろうほどのカタルシスと安堵があの結末にはあった。

 

文句のつけようのないハッピーエンド。失敗を恐れずに、これまでと趣の異なる結末を選んだ新海監督の決意はいかほどだろうか。デビューから続く精緻な心情描写や背景美術、そして作品を経るごとに発展していく構成力が、この映画に魅力を与えたことは言うまでもないだろう。それに加えて本作は、エンターテイメントとして底抜けに幸せな結末を見せつける。監督の集大成という謳い文句通りに、これまでの作品のテーマを伸びやかに跳び越えていく。

時空に引き裂かれる二人を描いた「ほしのこえ」。

過去の約束を果たす苦闘を描いた「雲のむこう」。

時間とともに失われていく想いを描いた「秒速」。

大切な人を取り戻そうともがく人間を描いた「星を追う子ども」。

二人の純粋な心の叫びを描いた「言の葉の庭」。

君の名は。」で主人公二人はその全てを見事に経験し、なおも結び合って見せた。

 

本作のラストは、奥寺先輩の「ちゃんと幸せになりなさい」の言葉通り、我々が幸せになるため見せられた幻想である。ご都合主義の産物でしかない。

それでもあの日あの階段で二人は再開した。彼らは奇跡的にも巡り合い、幸せになるためのスタートを切ったのだ。幻想だろうと構わない。誰もが望む甘く尊い夢物語を見せてくれた二人と新海誠監督に、心から感謝したい。

 

<了>