【天気の子】少年少女の選択。新海誠の選択。
このブログを始めたのはシン・ゴジラと君の名は。を一週間内に続けて見た直後で、エモーショナルなテンションのままページ開設して「あー君の名は。以外のこと何書こう。まあ適当に書き留めておきたいことくらい見つかるだろ」と思っていたら見事に140文字以内で書き尽くせるレベルのことしか考えずに3年が経ちました。
新海誠監督が新作を公開してくれたおかげで、こち亀の日暮みたいな存在になってしまったこのブログに再びログインすることと相成りました。ありがとう新海監督。
ということなので映画見て心に写り行くよしなしごとをそこはかとなく書き留めていきます。まだ見てない人は早くブラウザを閉じて劇場に行ってくれ。
さあ皆さんご覧になった天気の子、どうでした?
ぼく?ぼくはねーなんか前作がアホみたいにヒットした代償というべき鑑賞を妨げるノイズがチラついたり、公開前から「シナリオで試行錯誤した」と語られてた通りもう少しブラッシュアップできたような気がしなくもなくもなくもなくもなくもない展開・演出にやや戸惑いながらも、ひたすらに眩しい主人公ふたりが心底愛おしく、尊く思えました。
物語の核はもう手放しで激賞したいんで、とりあえず気になった点から先に書いていきます。
前作ヒットの代償
まずこれね、もう公開前から「いやこれもう監督よりぼくのほうが確実に緊張してるだろ」ってくらいタイアップ付きまくってたんですけど、正直付きすぎ。序盤から出るわ出るわ実在の広告。店舗。商品パッケージ。バニラの求人トラック。えらい生々しいやつ来たなオイ。まあ一番生々しいのはタイアップとか関係ない歌舞伎町の客引き注意喚起アナウンスだったけれど。
いくら新海作品が実世界の精緻な描写といっても、スクリーンから溢れ出んばかりの情報量に打ちのめされます。ソフトバンク戦か。
シナリオが終盤に差し掛かるとそういう異物感のある描写は薄れていくので、まあそんなに気にならないっちゃあならないんですけど。池袋でのセーフハウス潜伏の頃になれば某ホテルの受付とかホットスナックのパチモンとかが控えめに出てきたりして、「うーんこれだな。これくらいのパチモン感でいいんだよ」などとぼくの中の井之頭五郎が一人納得。いや、劇場に映画見に来てる人間に井之頭五郎を思い起こさせないでほしい。
極めつけは上映直前に挟まれるソフトバンク白戸家の専用CM。「お父さんがもう1か所映ってるよ!」って。誰がウォー〇ーをさがせ!をやりに劇場まで足を運んでると思うのか。複数回見る人がいるのを見込んでのCMだとは思いますが、せめて公開3週間後くらいからでよかったんじゃないですかね。まぁ僕はガン無視したんでノーダメージでしたけど。
そんなこんなで、次回作ではもう少し影響の少ないタイアップの仕方を考えてもらいたい。
でも下町のおばあちゃんの孫とかルミネの店員はいくら出してもいいぜ!
帆高くんの原動力が謎
若気の至りで家を飛び出した帆高くん。「帰りたくない」ということは分かったがいくらなんでも思考回路が苛烈すぎる。そら『原作はエロゲでひょんなことから居候に』とか『共通ルートはRADWIMPSをBGMに早回し』とかいう幻覚見る奴が出てくるわ。割と受け身の主人公が多い新海作品の中で、中々にアツい主人公でした。
あと都合よく手に入る拳銃。マクドナルドで紙袋からゴロっと拳銃出てきて帆高くんはびっくりしてたけど、いやぼく達もシナリオに唐突に表れた異物にびっくりします。
発砲という形で帆高の決意が表現されたのは上手いとは思うけど、そんなにポロポロ拳銃落ちてないよ、新宿。悲しいかな、新宿は北九州市ではないのだ。
ただ、拳銃の異物感とは言ったものの、これほど帆高の心情を表す小道具もなかったですけどね。
彼の心の叫びが、銃声となって響き渡る。
体制側の人間のキャラがエグい濃い
まず帆高くんを探してちょいちょい出てくるリーゼントの青年刑事さん。「えっリーゼント……?刑事なのにリーゼント?もしかして半グレでなんだかんだ背中を押すのかな?」と思いきや徹頭徹尾体制派。いや社会秩序の擬人化で出てきてるんだろうからそれでいいんだけど。でもなんでリーゼント?Why Sakuradamon people?
もう一人、はみだし刑事情熱系。人の好さそうな壮年男性。
でもどう聞いても声が平泉成。
圧 倒 的 存 在 感 。
ぼくは柴田恭兵と一緒にセーラー服になった平泉成さんを思い出して笑いを堪えるのに精いっぱいでした。
二人とも基本的には社会秩序として主人公を阻む舞台装置なので、無理にアクの強さを出す必要はなかったんじゃないかなと思いました。そこにコミカルさは必要なのか。
ただぶっちゃけ2回目からは慣れた。
まあいいんだよ細けえことは!
伝奇モノ見て細けえこと言うのは寿司屋でパスタ食いたがってるみたいなものです。
そもそもこれってボーイミーツガールなんだから、君の名は。と同じく主人公のふたりに着目しなきゃ意味がないでしょ。
この映画の一番の見どころはいつもの新海作品と同じ。
相手に抱く、もっとも尊いひとつの感情。
天地を超え、世界すら変えたふたりの愛情。
忘れたふりで得る平穏な世界などクソ食らえ。”彼”は”彼女”がいる世界を選ぶ--
「原作はエロゲ」というムーブメント
ぼくはあの記事を見て、そこらの映画評論家のレビューよりよっぽど共感できると思いました。いやまぁ流石に「2週目の隠し要素として『須賀さんにビールをおごる』選択肢が出る」とかは病気の域だと思いますけど。
というのも、この映画は「帆高が陽菜を選びとる」物語だったから。
いや違うか。
「帆高と陽菜が、お互いのいる世界を選びとる」物語だったから。
陽菜の手を引いて走り出す。
スカウトマンに拳銃を突きつけ、引き金を引く。
陽菜の「雨が止んでほしいと思う?」という問いに、何の気なしに「うん」と答える。
刑事たちの隙を見て警察署から逃げ出す。
決意を持って鳥居をくぐる。
「世界なんて狂ったままでいい!」と叫ぶ。
その選択肢のどれもが、エピローグの最大の"選択"に繋がっていく。
みんなの世界を変えていく。
……というかあの記事読んでから上記以外にも色んなシーンで”見え”ちゃうんですよね。
あぁ!スクリーンに!スクリーンに!選択肢が!
刑事を撃つ
圭介を撃つ
>拳銃を投げ捨てる
あとクライマックスでみんなが助けてくれるのもエロゲ感ありますよね。
みんなの好感度ゲージ足りないと警察署から逃げきれなかったり、廃ビルで刑事に取り押さえられたりするんだきっと(ぐるぐる目)。
まあなんだ、要はやっぱり00年代のエロゲが文化の中心にある人間はそこから逃れられねえよって話 。ぼくもあなたも、多分新海監督も。
ふたりの背負うもの
エピローグで、完全に形を変えてしまった東京。
冨美さんは「元に戻っただけ」と受け入れる。
須賀さんは「世界なんて、元々狂ってるんだから」と笑う。
帆高は3年前に覚悟を固めた。
でもそれは”世界を壊す”という敵意ではなく、”陽菜を救う”ための向こう見ずな覚悟。
だから、何も知らない大人たちの、甘く優しい言葉が反響する。
「水没した東京はあるがままの自然の姿」
「誰のせいでもない」
脳裏をよぎるそんな免罪符。
それでも彼は、彼女がいる世界を選んだことの代償が今の世界の形なのだと、僕たちが世界の形を変えたんだと自覚する。
世界のために今も祈りを捧げる姿を。
世界がその小さな肩に乗っているのを。
世界を背負ってなお共に生きることを選んでくれた彼女を、見た瞬間に。
陽菜を抱きとめた帆高は、その重みと暖かさに思わず涙するが、同時に自分を気遣う少女の“大丈夫”になると決意する。
その想いは相変わらずの尊さで、またしてもぼくは監督の見せる儚い夢物語に微睡んでしまう。高潔な理念も自己犠牲の精神もかなぐり捨てて、お互いを見つめ合うふたりがひたすらに眩しい。強く美しいエンディングの歌詞が心を打つ。
「物語の正しさ」とは何か。大ヒットの裏であらゆる意見と批判に晒された新海監督の選択がこのラストなんだと思う。万人ウケするかは知らないけれど、少なくともぼく一人は万雷の拍手で応えたい。
世界を背負った少女。
その少女を乗せて進んでいこうと、少年は力強く帆を揚げる。
雨に沈んだ東京で、二人がお互いの”大丈夫”になれることを、ぼくは確信している。
<了>